炭鉱町に産まれ
2012年09月17日
皆さん、こんにちは。セラミックス部門の鋤田です。
本日は「炭鉱町に産まれ」という話です。
私は、福岡県の筑豊の生まれ(※1)で、当時炭鉱がたくさんあった場所です。
筑豊の石炭を使って、北九州で鉄を作っていたわけですから、縁の
ようなものを感じる事があります。
当時は幼かったものですから後で聞いた話ですが
当時炭鉱町には多くの人が押し寄せ、当然ながら子供もたくさんいました。
1学年10クラス以上あったようです(小学校の先生が知り合い)。
石油におされてからは採算が合わなくなってまだ石炭が残っていた
状態で閉山となったようです。
当時三井の威勢はなかなかのもので、病院、映画館などが整っていて
料金は無料だったそうです。親に連れられてよく映画を観に行きました。
祖父の自転車の荷台に乗ってお風呂に行った記憶がかすかにあります。
のどかな時代だったのかもしれません。
労働争議もあったとは思いますが、日本人が元気だった時代では
ないでしょうか?
小学校の先生夫婦は閉山とともに東京に引っ越していきました。
20年前くらいだったか久々に帰ってこられて元の場所を案内した
ことがありますが、「当時は人情があったねぇ~」と回顧して
いました。でも久しぶりに見る土地は当時の面影はなく
殆どが畑になっていたため、「これなら東京に行ってよかった」
ともこぼしていました。
元気のないいまの世相をみて古きを思い出してみました。
頑張れニッポン、負けるなニッポン!
※1:福岡県稲築町(当時の名称)。現在の嘉麻市の一部。
築炉工事の設計・施工、セラミックスの超精密加工に技術・技能を活かす板井築炉株式会社
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